ブハラ(Bukhara)は、ウズベキスタンの都市で、ブハラ州の州都。ザラフシャン川下流域に古代より栄えたオアシス都市で、1993年には、旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されている。人口は約274,700人 (2016年)。
古代からサマルカンドと並ぶいわゆるソグディアナの中心都市であり、イスラーム時代以降、特にサマーン朝の首都となってからもイラン・中央アジアにおける最も重要な都市のひとつであった。また近代でも20世紀の初頭までブハラ・ハン国(ブハラ・アミール国)の首都が置かれ、西トルキスタンにおける政治・文化の中心都市であった。特にサーマーン朝にはじまる近世ペルシア語文学の発信源としてこの都市が残した足跡は大きい。また、シャイバーニー朝やジャーン朝においてはブハラの宮廷でペルシア語に加え、チャガタイ語文芸運動を隆盛させその中心都市としても発展した。このような歴史背景から、現在は住民の大多数が民族籍上ウズベク人とされているものの、住民の間ではペルシア語系のタジク語が広く話され、タジク人としてのアイデンティティを有する者も数多く存在する複雑な民族構成をもつ。
ブハラへのアクセス
ブハラは、タシュケントから高速鉄道で行くことが出来ます。バスなどを利用していく方法もありますが、高速鉄道が出来てからは、記事にもしていますが皆さんウズベキスタンの高速鉄道を使用されます。
ウズベキスタンの高速鉄道アフラシャブ号は、ウズベキスタンの首都であるタシュケントから、主要都市であり観光地でもあるサマルカンド、そしてブハラまでを結ぶ高速鉄道で非常に便利です。タシュケントからの移動などをお考えの方はぜひご利用くださいませ。
ブハラ人は京都人に似ている
近代でも20世紀の初頭までブハラ・アミール国(ブハラ・ハン国)の首都が置かれ、西トルキスタンにおける政治・文化の中心都市であったこともあり、タシュケントに住んでいる人に田舎者とバカにされることを嫌っており、逆に、元々私たちが首都であり、タシュケント人こそが元々田舎の人間だから気にしないと言う傾向があります。京都人の東京に対する感情に似たものがあるのかなと個人的には思いました。これは偏見とかではなく経験からの感想ですので、あらかじめご了承くださいませ。
ブハラの写真を紹介
私は個人的にサマルカンドよりもブハラの方が魅力的に感じます。歴史に興味はないし、感覚だけの問題ですが、ブハラは町全体が魅力的な場所というか、町全体から歴史的雰囲気を感じることが出来ます。いくつか実際に回った(クライアントに同行した)時に撮影した写真を紹介します。
カラーン・ミナレット
ウズベキスタンの世界遺産であるブハラ歴史地区の構成物件の一つ。カラーン・ミナレット、カラーンとは「大きい」という意味。その名のとおり高さはおよそ46メートル、ブハラの旧市街に一番高く、町のどこからでも見えるブハラのシンボルです。
1127年にカラ・ハン朝のアルスラン・ハーンによって建てられたミナレットで、塔全体が焼きレンガで覆われ、内部の105段の螺旋階段のみ木造。
遠方からも視認できるカラーン・ミナレットはブハラのシンボルであり、ブハラの支配者の権威の象徴にもなっていた。
1220年のチンギス・カンによるブハラ征服の際、ブハラを征服すると市街を破壊するように命じたチンギス・カンだが、伝承ではこのミナレットの姿に感銘して塔の破壊はやめさせたという伝承がある。
チャル・ミナル
チャル・ミナルは、ほかの見どころとは少し離れた東側の旧市街の中にある一風変わった4本の青い屋根のある塔をもつ建物です。
1807年に神学校の門番小屋として建てられたもので、今は神学校やモスクはなく、この建物だけが残っています。
アルク城
アルク城は歴代ブハラハーンの居城で、現在ののブハラの最も古い建造物の一つ。チンギス・ハーンによって侵略され、城も破壊され、1920年のソビエト赤軍による爆撃でほぼ崩壊した。
城の外観を動画で納めました。
城の受けからの景色です。王はこうやって城下を眺めていたのだろうか。
その他にもいろんなところが歴史的建造物
絵になりますねー。
モスクのようなものは至ることろに
綺麗ですね。
土産物屋も歴史の中に溶け込んでいるかの様にあります。
これはアルク城の城壁の中かな
移動中に気になったので撮影。これは、ミッ〇ーマウスかな。ニッキーマウスだなたぶん。ちょっときもいです。
ブハラ(Bukhara)の注意点
私がブハラ(Bukhara)を観光中に気になった点を紹介します。
ブハラのKFC(KFS)に注意
先に行っておきますが、皆さんがご存じのケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の話ではありません。ロシア語で、KFCはKFSなんです。しかし、これは何かKFCを意識しているであろうことは間違いないでしょう。クライアントと歴史的建造物に囲まれたレストタンに夕食に行ったときのこと。こちらがメニューです。見てください。
ズームにします。
K.Ф.Cと書いています。Фはロシア語のアルファベットで英語なら「F」です。そのため、K.F.Cと書くことが出来ます。しかし、Cがロシア語のアルファベットでは「S」になるので、読んだら「K.F.S」になるんですね。ややこしい。まあそれは良いです。私は連日の牛肉、羊肉に飽きてきたから無性にチキンが食べたくなったからこれを注文したんです。分かりますか?商品名でK.Ф.Cが80000スム(980円ぐらい)を注文しました。これでチキンを3ピース食べれるぞと思っていたら、来たのが
これです。分かりますか?私は店員を呼んで言いました。「私が注文したのは、ここのメニューに載っているK.Ф.Cです。これは何ですか?」と。すると店員は言いました。「これはK.Ф.Cです。」
それを聞いた瞬間瞬時に私の頭に様々な思考が駆け巡った。写真のものとは全く違うものだが、中央アジアにおいて、イメージ写真と現物が違うことはよくあることだ。今回はただそれが今までで一番かけ離れていたにすぎない。この際見た目は気にしないこととする。そして私は確認した。私たちは3人で来ていたから、きっとこれは3人分が来たのだと思ったからです。私は店員に聞きました。「私はK.Ф.Cを1つだけ注文しました。これはいくつですか?」と。すると店員は言いました。「はい、これは1つです。」と。私は考えるのをやめました。どうもこれは1キロの鶏肉を揚げたものみたいです。他の店でもK.Ф.Cというメニューがあり、量を聞いたら1キロと言われたので、ここでは普通なんでしょうかね。。写真もっと近い写真にしとけよ。しかも1キロとか書いとけよ。。
夏はすごく暑い
タシュケントやサマルカンドよりも暑くなります。50℃とかも射程圏内です。夏場は水分など十分に持ち歩き、注意しましょう。
ラグマンが不味い
肉料理はともかく麵料理とか、ほかの料理はあまりおすすめしないとパートナーに言われていましたが、ものは試しだとラグマンを注文。私が行った店だけが悪いのか知りませんが、人生で一番まずいラグマンを食べました。もしかたら全体的に不味い可能性が高いかもしれません。
ブハラは個人的に一番おすすめです
歴史に興味がある人にはブハラは最もおすすめです。私は歴史に興味はありませんが、風景を見て歩いているだけでも最も楽しい気分になるのがブハラです。弊社で通訳兼ガイドや車に至るまで、サポート(紹介)可能です。現地で優秀な日本語の先生のガイドなど、レベルの高い案内が可能です。もし興味がある方はお問い合わせくださいませ!