あなたが観光旅行で行く国は親日国であって欲しいと思いませんか?あなたがビジネスで海外進出を検討している国が親日だと良いと思いませんか?そんなあなたにウズベキスタンはおすすめです。隣のキルギスも親日国として有名ですが、ウズベキスタンも非常に親日国です。なぜ遠く離れたあまり日本では馴染みの無い国が親日なのか?仕事で何度もウズベキスタンへ渡航、滞在をしている私がその理由を紹介します。
理由1.ウズベキスタンの親日の始まり
今から約70年前、第2次世界大戦末期のことです。1945年8月9日、日本は第二次大戦で苦戦を強いられ、もう敗戦濃厚である日本に対してソ連は日ソ中立条約(互いに攻め込まない約束)を破り、満州(現在の中国東北部や内モンゴル自治区)、そして当時日本の領土であった朝鮮半島、南樺太などを侵略してきました。今でも日本の北方領土を不正に占拠している犯罪国家ですが、今も昔も変わらぬロシアのやり口です。これは正直火事場泥棒よりも卑劣な条約を破る行為であり、ロシアは今もやっていることは変わりませんね。どこまで行っても卑劣な国だなと思います。
しかし、ここで良く理解して頂きたいことは、旧ソ連であったとしても、ウズベキスタンはもう全く別の独立国家であるということです。旧ソ連の国だということで悪いイメージを持つ方がいますが、それは断じて違います。あんな卑劣な国とウズベキスタンを一緒にしてほしくない(ロシアを除く)というのが私の意見です。個人的な感情は無視して話を進めます。
日本は8月15日にポツダム宣言を受け入れて降伏しましたが、8月23日までソ連軍の侵攻は続きました(まさに外道の成せる行為です)。ソ連はその戦闘の中で捕虜となった人たちを数年から十数年に渡って各地に抑留し、強制労働を強いました。過酷な労働や厳しい環境による栄養失調や怪我や病気等でたくさんの人たちが、再び日本に地に戻ることなく亡くなったとされています。抑留者は、シベリアや中央アジアなど各地に送られ、森林伐採や道路整備、建物建築といった様々な重労働を課せられました。シベリア抑留は最も有名ですね。当時このうちの一部がウズベキスタンで重労働を課せらることとなりました。
ウズベキスタンでの抑留
ウズベキスタンには約25,000人の抑留者が送らたと言われています。ウズベキスタンは雨が少なく乾燥しており、夏は最高気温が40度、冬は最低気温がマイナス20度にもなる、大変厳しい気候環境の国です。抑留者はその中で、水力発電所や学校などの建設に従事しました。
中でも有名なのが「ナヴォイ劇場」という国立の劇場です。この劇場は457人の日本人抑留者により1945年から1946年にかけて建設された建物で、現在でもオペラやバレエの上演に使用され、ウズベキスタンの紙幣にも描かれています。実はこれがウズベキスタン人の人たちの心に刻まさることになる、親日の歴史の始まりであり、最大の日本人への尊敬、敬意が形となり、ウズベキスタンという日本になじみの無い遠い国が親日国となる原点となりました。
尊敬を受けた日本人抑留者の人たち
ウズベキスタン人が親日国である大きな理由がナヴォイ劇場を建設した日本人抑留者を実際に見てきたウズベキスタンの高齢者が語り継いでいる話があります。それは時間通り、そして予定通りに行動する日本人の姿でした。朝決められた時間には整列して仕事を行い、終わるとまた整然と列を成して帰っていく日本人抑留者たちの話。そして、私はウズベキスタン人から直接聞きました。その仕事の正確性なども素晴らしかったと。だからナヴォイ劇場周辺で地震が起きた(後で説明します)ときもナヴォイ劇場は何事もなく無事であったと。彼は言いました。「これは考えられないことだ。強制的に働かされたんだ。なぜそんなに真面目に働くことが出来るんだ?しかもその仕事は見ての通り(ナヴォイ劇場を指さして)とても綺麗で今も尚、国を代表する建築物だ。正にそれは日本人の正確な仕事がもたらした結果であり、ナヴォイ劇場は私たちの誇りだ。」と言われました。
また、ウズベキスタンの前大統領である故カリモフ氏は生前こんなことをおっしゃったそうです。「子どもの頃母親に連れられて、毎週末日本人の収容所に行った。そして、そのたびに同じことを言われた。『息子よ、ごらん、あの日本人の兵隊さんを。ロシアの兵隊が見ていなくても働く。人が見ていなくても働く。おまえも大きくなったら、日本人と同じように人が見ていなくても働く人間に必ずなりなさい。』そんな言いつけを守って育ち、今では大統領になれた。」と
ナヴォイ劇場では、建物の横の壁に日本人抑留者の記録が石碑に刻まれています。
ウズベキスタンで抑留者が残した名誉
先述の通り、ウズベキスタンは1966年に首都のタシケントのおよそ70%の住宅や建築物が倒壊する悲惨な大地震に見舞われました。その中で、ナヴォイ劇場をはじめ日本人抑留者が建築に携わった建物の多くは地震に耐え、ほぼ無傷で立ち続け、家を失った人達の避難所として活用されるなど、多くの人の命を救いました。
現在でもナヴォイ劇場はもちろん、日本人がつくった発電所や建物が現役で使われており、今でもウズベキスタンでは「地震が来たら、日本人が作った建物に逃げろ!」と語り継がれているそうです。
このように、本来なら日本への帰国ができたかもしれないのに、過酷な環境の中での強制労働、帰国の見込みも立たない抑留という絶望的な状況の中でも、日本人抑留者たちは実直、勤勉に仕事に励み、たとえ日本に帰れなくてもウズベキスタン国民に手本とされるような行動をとり、大地震でも倒れない建物を建てることで、自分たちの名誉を残そうとしました。
また、ウズベキスタンの市民から受けた恩に対しては精一杯の感謝を伝えようとしました。戦後、この地で強制労働に従事した抑留者一人ひとりの行動が、ウズベキスタンの人々に深い感銘を残し、日本人のイメージとなって、親日国になるきっかけとなりました。私はこうしてウズベキスタン進出支援などの仕事が出来ていることは、日本の先人たちのおかげだと考え、尊敬の念が堪えません。私もこの国で、日本人としての誇りを持って仕事をしていき、この国の日本の立場をさらに上げれる様に努力したいと考えています。
理由2.日本への留学
ウズベキスタンの有名な大学などから、国策として発展した日本を見本として学ばせるために成績上位者が日本に留学するケースは多いです。親日ということから、日本から学びたいという政府の意識にまて発展しています。そんなことはほとんどの日本人が知りません。弊社のウズベキスタン営業所長も日本への留学経験者で、留学経験者同士での交流もあり、仲が良いです。そして、あまり知られていませんが、優秀な日本人留学経験者が政府の要職に就くことは珍しくなく、一橋大学の卒業生(以前は副首相だった時にお会いした)の方にたまたまレストランで出会った際などは日本語で挨拶されました。なんでも政府関係者の中で一橋会なるものがあり、結構なメンバーが揃っているんだとか。そのため、私もウズベキスタン営業所長を通じて政府関係、ビジネス関係問わず様々なところにリーチが容易です。いろんなところに彼の後輩がいたりするので、そんなこともあり政府自体が日本に対して好印象を持っており、彼らは日本の様な国を目指したいんだと本気で思っています。しかし、考え方も進め方も日本と全く違うので、、、うまく進まないんですよね。そんな時のために弊社がそのギャップを埋める作業をしています。
理由3.農耕民族である
これは、私個人的な独自の視点からの理由となります。実は、ウズベキスタンの親日具合は、何か他にも理由があるんじゃないかなと考えた結果、私が一つの理由として考えたのが、日本とウズベキスタンは同じく農耕民族であるという点でした。農耕民族は土地に対する考え方などが似ている部分があり、農耕という作業は時間もかかり、忍耐も必要です。農耕民族かそうじゃないかという部分は性格にも表れると考えています。そういった点で、実はどこかで考え方などが似ている点があると感じることが多いので、この理由を挙げさせて頂きました。
理由4.日本のアニメや漫画
これは最近ですが、日本のアニメや漫画といった日本カルチャーは最強です。以前に比べて日本のアニメを見る子供が急増しています。いろんな人に聞いても子供がアニメを見ていると答えます。加速度的に親日アニメっ子は増えており、将来的にますますウズベキスタンの親日具合は進んでいくと断言出来るほど明確に分かります。本当にこの日本が世界に誇るべき文化をもっと大事にしていくべきでしょう(非公式アニメグッズなどの販売で中国などは巨額の富を得ている。この様な状況を日本人として変えなければいけないと思う。)
最後に
以上、何故ウズベキスタンが親日なのか?についていくつかの理由を書かせて頂きました。日本人は何故ウズベキスタンが親日なのか気になる人が多いかもしれませんが、私はそんな国のことを何故日本人が知らないのかが気になります。まあ、日本政府とウズベキスタン政府っていうのは、まあ合わないんですけどね。どんなところが合わないのかは、双方の間で話し合われたことなどを聞いたら分かる話なんですけど、そこのギャップが埋まることはなかなか無いでしょうね。ということで、観光旅行やビジネスなどを考えている人も、ウズベキスタンは親日なので、ぜひ渡航を検討してみてください。他のよく分からない反日教育をしている国に行くよりよほど良いです。とくにビジネスをお考えの方はお気軽に問い合わせフォームからご連絡下さいませ。以上、現場からの報告でした。