記事を書く際にGoogleキーワードプランナーで皆さんがどんなキーワードを検索する傾向にあるのかを見ているのですが、なんと『キルギス やばい』が検索数の上位にあったので記事にしてみたいと思います。まず実際に検索してどんな記事が他にあるのかを見てみます。そこでいくつかその様に検索される理由であろう要因がありましたので、実際に現地で生活していた私のイチ意見と共に記事にしたいと思います。ただし、ここで断っておきますが、あくまで個人の意見ですのでその辺りをご理解いただいた上でご覧いただけると幸いです。
理由その1ーキルギスの誘拐結婚「アラカチュー」
「アラカチュー」は、顔見知りや顔見知りでない独身の女性を男性が突然奪いに行き、男性の家へと連れ去り、女性を説得して結婚するという。男性が結婚費用を支払えなかったり、親が決めた結婚相手を女性が拒んだりした場合、家族らと共謀して形式上の誘拐結婚に持ち込むことがあるという。現在も行われている慣習だ。日本では「誘拐結婚」と訳されることが多い。
キルギスの誘拐結婚は、実に複雑なものだ。そこには、キルギスの村社会の人間関係、価値観、遊牧時代からの歴史が絡み合っている。
アラカチュー(誘拐婚)は違法
アラカチューは、ソ連時代の1928年に「慣習に基づく犯罪」として法律で禁止されている。また、1991年のキルギス独立後にも違法と制定され、現在は5~10年の拘禁刑が定められている。
悲惨な事件も発生している
2018年5月にはアラカチューの被害女性が、誘拐犯によって警察署内で刺殺される事件が発生。
現在も続いている?
しかしキルギスでは、いまだに年間約11,800人もの女性が誘拐され、そのうち約2.000人がアラカチューの過程でレイプ被害にあっている。また、多くの警察や裁判官がアラカチューを黙認していることから、誘拐事件として裁判にかけられるのは700分の1程度だと言われている情報もありましたが、本当なのかなと思うのが正直な感想です。滞在中に一度も聞いたことが無い。。。別に全否定する気はさらさらないんだけど。。。
これに関する私の意見
アラカチューがキルギスで習慣化してしまったことにはいくつかの理由があるのですが、伝統的な問題に関して頭ごなしに悪いからやめろと言って聞き入れるとは思えない点。当然良くないことではありますが、考えてみて欲しいです。多くの国に日本の伝統も否定されることがあります。残酷だからとある生物を捕るのをやめろと言われたり。。。全然違う問題ですが、他国にとやかく言われるのはどうかと思う人も多いでしょう。キルギスもそんな面があります。実際に私は何人なの現地人にこの問題について聞いたことがあります。誰もが眉間にしわを寄せたり『なんでそんな質問をするんだ』と言った顔をします。貧困問題や間違った宗教観など、いろんな要因があって、非難するのは簡単ですが、本当の解決はそれでは達成できないのでは無いかと思います。原因を根本から変えれないなら、それはただの自己満足であり、一部の感染を食い止めるだけで、感染源は絶てない様な。。。そんなイメージを僕は持っています。自分もこの国に関わっているところで何か出来ないか考えてみたいと思います。
理由その2ー腐敗している政府
2018年には世界で最も腐敗している国ワースト29で22位にランクインしたキルギス。私も実体験として様々なことを経験しました。しかしながら、皆さんはこれだけを聞くと、治安が悪くて殺人などが多い凶悪犯罪者の巣窟の様なイメージを持つ方がいるかもしれませんが、私自身3年間住んでいた中で身の危険を感じることはありませんでした。確かに政府という意味では政府機関や地方自治体などに対して突っ込みどころは沢山あるのですが、その結果を見ていきましょう。
2005年チューリップ革命
2005年2月27日と3月13日、キルギスで議会選挙が行われ、アカエフ大統領(当時)を支持する与党が約7割の議席を確保した。しかし野党側からは選挙に不正があったとして、抗議運動が各地で広がった。結果として一部が暴徒化して3月24日に政府庁舎になだれ込んだ。武力弾圧を控えたアカエフ大統領(当時)は政権を事実上放棄してロシアに避難、15年続いたアカエフ政権は崩壊した。そのあとはクルマンベク・バキエフ元首相が7月10日の大統領選挙で当選、元副大統領のフェリックス・クロフが首相に任命された。この一連の政変がチューリップ革命である。1991年に国が発足してから長期政権で独裁色が強まっていたことが原因でした。この後の政権はきっとこの経験を元に良くなるはず。。
2010年キルギス騒乱(政変)
2010年に入ると、前国防相で反対派に転向したイスマイル・イサコフが在職中の職権乱用の罪を着せられて懲役8年の刑を宣告され、彼の出身地などで抗議行動が活発化した。
そして3月にはナルンで光熱費値上げに抗議する集会が始まるなどバキエフ批判の運動が各地に広がった。政権側はキルギスタン情勢を批判的に報じる外国のウェブサイトやラジオ放送を遮断したが、これに対しても抗議行動が頻発した。3月17日に首都ビシケクで反対派のクルルタイ(大会)が開かれ、政治犯釈放とバキエフの親族の公職からの解任など要求すると、大統領側は23日に「和合クルルタイ」を開き、国民からの支持を演出した。状況はいったん沈静化したかに見えたが、4月6日に北西部のタラスで反対派指導者ボロトベク・シェルニヤゾフが逮捕されると、それに抗議する人々が州庁舎を占拠し、政権側の知事に代わる「人民知事」を選出した。政権側は、翌日に各地でクルルタイを開く予定であった反対派の指導者を次々と拘束した。7日にはナルンでの集会がバキエフ辞任を要求して、やはり州庁舎を占拠し「人民知事」を選んだ。タラスでは政府がモルドムサ・コンガンティエフ内相の指揮のもとで集会を鎮圧しようとしたが、内相は群衆に暴行を受けて重傷を負った。イッシククリ州の行1政府が反対派側に移ったほか、各地で地区行政府の占拠が続く中、ビシュケクでは1万人の群衆が政府庁舎を取り囲み、銃撃戦で多数の死傷者(19日現在の死者85人)が出た。しかし最終的には政府庁舎が占拠され、バキエフは逃亡、ダニヤル・ウソノフ首相は辞任し、反バキエフ派による臨時政府が設立された。つまり、タラスでの集会から数えて1日半、首都ではわずか1日の動きで、政権が倒れたのである。
そして臨時政府が発足した。しかし、臨時政府のメンバー、特に議長と4人の副議長の顔ぶれは、いずれもチューリップ革命の熱心な参加者であるとともに、比較的早い時期からバキエフ批判を行ってきた人々で構成された。この後の政権はきっとこの経験を元に良くなるはず。。
出典:クルグズスタン(キルギス)の再チャレンジ革命:民主化・暴力・外圧 宇山 智
2020年キルギス反政府運動
2020年10月、キルギスでは2005年と2010年に続き、大衆的な抗議行動による3度目の政権崩壊が起きた。
2020年10月4日に執行された議会総選挙に不正があったとして野党ならびにその支持者が起こした反政府運動である。この結果、総選挙結果は無効が宣言され、クバトベク・ボロノフ内閣は崩壊、ソーロンバイ・ジェーンベコフ大統領も辞任した。選挙は比例代表制であり、議席獲得には得票率7%以上を要する制度になっており、選挙の結果、この条件を満たしたのは立候補者を擁立した16政党中4政党のみであった。その中の3党がソーロンバイ・ジェーンベコフ大統領寄りの政党だったことがことの発端でした。
特定の選挙区における得票率を上げるため、政党が人々にカネを渡して住所を変更させたことや、地区単位の動員に加えて、国営企業が社員とその家族に対し、住所変更と特定政党への投票を強要したとの証言もある。その結果一部が暴徒化して政府庁舎に侵入。火をつけるなどの行為を行った。結果として政権が倒れ新政権へと繋がるのである。この後の政権はきっとこの経験を元に良くなるはず。。
これらに関する私の感想
実は2020年のキルギス反政府運動の際は、私はキルギスの首都の中心部に住んでおり、暴徒が夜中暴れまわっていた通りに住んでいたので、爆発音や民衆の叫び声を聞いていました。しかし、田舎から来た不満たっぷりの民衆が暴れまわっていて、中にはただの憂さ晴らしで暴れているだけで政治に一切無頓着なものも含まれているということも知っていたので、案外冷めた目で見ていました。物事を文章にすると重苦しいものになりますが、外出禁止令なども出て家にいたのも1日だけで、次の日にはみんな普通に買い物に出かけて何事も無かったかのような生活をしていました。現地の人と話をしても『またかという感じです。』と言われました。本当にこの様な状況を打開するには、経済を良くして人の生活が豊かにならないと無理なんだろうというのが私の意見です。その為に政府が腐敗していては支援を受けることも出来ません。私は民間のレベルで今後、キルギスの人たちに仕事を与えることを考えて行動していくと決めています。まず自分に出来ることから。小さなことをコツコツと、そしてみんなが動けば大きな力となると思います。
キルギス、タジキスタン紛争
これについてはキルギスとタジキスタンの紛争問題について別の記事で書いていますのでそちらをご覧下さいませ。簡単に説明するとキルギスとタジキスタンの国境で度々起こる紛争です。2022年にも衝突が起こり、双方数十人の死者を出すにまで至った背景には、複雑な国境線問題や歴史があります。
これに関する私の感想
確かにお花畑の日本人からしたら、あまりピンとこないかもしれませんね。ただこれだけを見るとやばい国なんだという単純な感想にしか至らない理由も分かります。自分たちも危険な国が回りにあるという事実は無視しているなら。この手の問題も、一部の国境周辺地域に行かなければ、今まで特にキルギスで危険があったということはありません。全体を見たら例えば首都のビシュケクにはこの問題による負傷者もいなければ危険になったこともありません。問題がある場所はごく一部の地域であって、それを回避すれば事実を考えると安全と言えなくもないのではというのが私の感想です。
最後に
『キルギス やばい』と検索している人のために記事を書いてみましたが、いかがでしたか?結構キルギスのことをネットで検索すると確かにマイナスイメージな情報が多い気がしますが、実際どうなのかな?というのが私の意見です。結構何年もキルギスに滞在している私からしたら、かなり盛られている気もしなくもない情報もあります。実際に滞在されている他の日本人の感想も同様の方が多いです。もっと危ない国もありますし、治安についても、日本人がもっと多く渡航している東アジアの国とか、ヨーロッパ諸国やアメリカの方が、何かとやばいと感じるぐらいです。利害関係が少ないキルギスという国だから悪いイメージの記事が目立っているという気もします。確かに、いろいろ問題もあることは否定出来ませんけどね。そこはこの国が発展していけば日本人が手のひら返すだけだと思っています。他にもキルギスに関する様々な記事を書いていますので、そちらもご覧下さいませ。